至る話 - 至るスロッターの一生

至る話スピンオフ〜ブラック企業編〜其の5

おこんばんは!


今日も愚痴がはじまります・・・




至る話 〜ブラック企業編〜 その5



前回、前々回の話等、会社に疑問符・・・いや、正常な思考に戻れば恐怖を感じてしまう体制にさすがにヤバいと感じるようになったアビは、転職を決意するのでした。


働いた期間は1年と少し。数十人居た同期の社員は既に半分以下は辞めてしまっている。

いわゆる使い捨て企業ってヤツです。


僕と仲の良かった同期も皆辞めるか体を壊してぶっ倒れてしまった。



退職の旨を伝えた瞬間・・・脱会を申し出た信者への扱いのごとく、それはそれは酷い扱いへと変貌するのでした。

まぁ、この会社の特性上ある程度覚悟はしてましたが・・・



で、タイミングの悪いことに、退職を伝えた翌日、40度近い熱を出してしまいましてね。


辞めると決めたらサボるのか??なんて思われるのは嫌だったので、少々の風邪じゃ出社するつもりでしたが、高熱と急性の胃腸炎だった為に上からも下からもオーバーフロー状態になりかねなかったので、さすがに休むことにしました。

入社してから初めての病欠です。



そのことを上司に伝えると、驚くべき回答を得ることができました。


「そんなこといいから出社しろ」



へ?


私は高熱の為幻聴を聴いているのでしょうか・・・



40度近い熱と病状も伝えたハズ・・・



もう辞める人間のことはどうなってもしったこっちゃないということか。


まぁ、今を乗り越えればそれは解放されるわけですから、我慢して出社するか・・・



病院へ行ってからフラフラになりながらも車を運転して出社。


で、10分くらいしてから。




「もう帰ってもいいよ。」




いやね、さすがにキレましたよ。

ただ超絶に弱ってましたから、殴りかかるまでにはなりませんでしたが。



その10分の内容ってのが、本当に辞める意思があるかどうかの確認でっていう。


・・・大事なことですが、状況が状況。後日が電話でできることじゃないんですかね。




まぁ、これでなんの未練もなくヤメることもできるってことです。


元々、いろんな人に良くはしてもらってたので、有給とかは消化しないで最後まで仕事してから辞めるつもりでしたが、さすがにそこまで義理立てする必要もない。


ちょうど、月末まで有給消化で過ごせる分くらいはあったから、有給届けと退職届けを叩きつけるようなかたちで会社を去ることになるのでした。




最後に気を使わなくていいようになった分、これはこれでよかったか・・・





ちなみに、文中では仕事内容は書いてませんでしたが、簡単に言うと・・・


知識なし、ましてやご老人等などからは利益をがっぽりといただく仕事です。

社内的には、利益=お客様が満足してくれた証だなんだと美化してますが、正直に、例えば20万の相場の車なので、10万利益頂いて10万還元しますと説明した上での利益じゃないので(相場なんて絶対に本当のことは言わない、嘘をついて相場が10万なので5万で買い取らせてなんて言うこともありますが)

しかも、なんと驚きのことに、50万の相場の車を例えば1円とかで買い取って来たとしても勇者です。会社としてはよく適正価格だとかどうとか美化した話をしてますがね・・・


どういうことかというと、価値を提供してその対価としてお金をいただくというのではなく、知らない人からは絞れるだけ搾り取れ!!

詐欺ではないですが、詐欺に近い感覚はありました。


まー、この辺の営業トークというか、話の持って行きかたというか、そのへんはかなり強化されたと思います。


自動車業界、値段なんてあってないような世界なので(オークション価格からの相場ってのは勿論あります)業者側の言い値でうんうん言ってると確実に、100%損をする仕組みになっております。

相見積もりを取れば高く売れるなんて考えていても、だまされる場合だってある。

だって、会社としては繋がってないけど、出張買取部隊同士はよくバッティングしたりするもんですから、そこで仲良くよろしくやって談合して・・・なんてこともありますからね。


あまりにも黒い部分が多いので、そういう事にもストレスを感じるってことはありましたね。



この辺のグレーな話、中古車業界のウラ側の話なんてのも面白いかもしれませんが、それはまたの機会に。



お付き合い頂き、ありがとうございましたm(_ _)m



至る話スピンオフ〜ブラック企業編〜其の4

どうもこんばんは!


これは、以前働いていた主観的にブラック企業のグチを書いていく話です。




至る話 〜ブラック企業編〜 その4




今回は、この会社の宗教的(カルト系のね)な側面の話をしていきたいと思います。




ワタ○などに比べればまだまだマシですが、それでも劣悪な労働条件下という話を前回しました。


まぁ、それくらいならまだヤメようという判断にはならなかったんですね。




宗教的な側面・・・というか、会社から洗脳されかねないっていうことはよくありました。


勿論、働いている当人はわからないですし、僕も気づくまでは何も思ってませんでした。

今も働いている人々は指摘されても「?」ってなるでしょう。そういうもんです。



あ、その前に、社員数2000〜3000人で一部上場もされてる一企業だった当時の会社は、労働組合というのが社内には存在しませんでした。

この時点でヤバいオーラが・・・会社のいいなりになりましょうってことです。




朝の営業理念の唱和・・・まぁこれはいいでしょう。やってるところはやってることですし。


思い返せば気持ち悪かったことの一つが、毎週月曜日にあるテレビ朝礼です。

それだけならいいんですが・・・毎回一つのコーナーで「○○○○(会社名)はスゴい、スバらしい」的なことがあるんです。

ああ、いい会社で働いているんだな・・・そう思うわけです。


いや、そう思い込まされているのです。


そのほか、社内紙もそういう内容のものもありましたし、細々としたそういう施策ってのは多々ありました。




ですが、一番驚愕したのが運動会です。



運動会ですよ、運動会。



いい大人、2,3000人はいる社員が一堂に集まって運動会ですよ。

しかも、北は北海道、南は沖縄まで数百店舗あるわが社で1日だけ横浜に集合して運動会ですよ。


さらに、運動会終了次の日朝一で店舗に戻り、普通に仕事ですよ・・・



正気じゃない・・・正気の沙汰じゃない・・・



しかも、やる気になっている人が多数(洗脳の被害者?)眼が血走ってる人多数・・・





運動会は本気で開催。


終盤にはなぜか毎朝やってる営業理念の唱和を全員で大声で叫び、さらに大会テーマソングを全員で合唱、中には泣き出す人も・・・



こ、怖い・・・この会社が怖い。


労働基準法以上に働かされて辛い・・・というよりも、この会社にいたらどうにかされてしまうんじゃないかという恐怖が徐々に徐々に芽生えていくのでした。



僕がこの会社を「辞めよう」と考えるに至った理由は、労働条件よりもこういった所の方が大半をしめてました。


思えば、研修終了後に嫁が「宗教??」って言ってたことが当たってたってことです。





何事も、一歩引いて物事を見るということが大切だということです。






続く。


至る話スピンオフ〜ブラック企業編〜其の3

こんばんは!


あくまでも主観的にブラック企業で働いていたことに対する愚痴を書いている日記です(笑)





至る話 〜ブラック企業編〜 その3



今回は、労働時間の事を書いていきたいと思います。




研修も終了し、無事店舗配属されたアビ。

そこで待っていたものとは・・・



約1ヵ月ほどをかけてさらに勉強・・・

とはいえ、当たり前ですが基本雑務と営業同行し自分で勉強するというスタンスです。



その後待っているのは・・・これまた営業ではありがちな高すぎる目標設定である(笑)


まぁ、その辺はどこの営業マンも同じ、がんばればいいことです。



それよりも、いわゆるブラック的のが働いている時間です。

出社は大体朝の8時くらい。

会社説明会では、少なくとも9時には帰ってもらっているとの話がありましたが、毎日仕事が終わるのが早くても夜の10時半〜11時。

日をまたぐことは日常的にありました。繁忙期といわれる期間であれば夜の12時を超えるのがあたりまえでした。


毎日平均して15時間労働です。通勤時間なども考えると、家にいる時間は寝るだけです。


さらに、一般のお客さんを相手にする商売ですから、休みの日でも電話対応などはあたりまえで・・・



しばらくの間、スロットとブログを全くやっていなかった理由をご理解いただけたでしょうか?



この話を、先輩とかに話をすると大体返ってくるのが

「昔はもっとひどかった、夜の1時くらいに終わるのがあたりまえだった」


基本、こういうことって昔はヤバかった自慢がありますよね(笑)

ちょっとばかし良くなったとはいえ、それでも異常なのにマシになったからそれでいい・・・完全に会社に飼いならされているなと思った。




え?残業代はって???



ナメてもらっちゃ困る。

「みなし残業」っていう便利な言葉があって、あらかじめ基本給にこの残業代がプラスされているのであります。

まぁ、プラスされた状態での給料が低いんですけどね(笑)


それ以上の残業をすればどうなるか・・・正確に言うと、残業をつけることは可能なんですが、その残業をつけるとボーナスが減額されるという意味不明なシステムの為、結局はサービス残業をさせられてるってことです。


時給に換算すると600円くらいにしかなりませんでした。



みなし残業って法律的にどうなのって??


そりゃ・・・ね(笑)




営業だからインセンティブとかあるだろ、残業よりもそっちをがんばれよって??



だからナメてもらっちゃ困る。


基本的に、販売台数などに応じてある程度のインセンティブはあった。といっても、驚異的に台数を売らない事にはほとんど貰えませんが。

で、僕の居た部署ってのが「出張買取」です。


・・・コールセンターに依頼の来た買取査定を元に営業、です。

そりゃ、いくらかは乗り換え案件とかはありますけど、基本的には「買取」のみの営業です。

どうやって販売台数伸ばせってんですか・・・



よって、インセンティブというものは程遠い存在でした。

更に、ペナルティ的な罠も多々用意されていて・・・


お客さんからのクレーム件数に規定があって、一定数以上を超えるとボーナスが減額されます。

一定数といっても、2,3件でアウトです。

しかも、クレームとかじゃなくて、ちょっとした問い合わせでお客様相談センターとかに連絡が入ってもアウトです。

もうビクビク物でした。


幸いこの辺は、お客様対応やアフターフォローを徹底してやっていたかいもあって、引っ掛かることもなかったですし、アンケートハガキ返信率に関しては上位をキープしてました。



そんな酷い労働環境も、がんばって店長になれば変わる!

いや、労働時間とかはかわらないか。

それでも、お給料は飛躍的にUPするってのもあるので、がんばればいい!!って当時の僕は思ってたのでした。



と、労働環境に関しては厳しい事も多かったですが、この状況にしたのは自分の責任だし、この会社を説明会の内容からすると半分だまされているとはいえ選んだのは自分。

まだ若いだからがんばればいいサ!という考えでいたのですが、会社の変な方向性に疑問符が出てくることになるのでした・・・



続く。




至る話スピンオフ〜ブラック企業編〜其の2

どうもこんばんは!


以前働いていたブラック企業の事を書いていっています。


内容はあくまでも僕の「主観」的な考えのもとに成り立ってますので、その辺ご注意ください。




至る話 〜ブラック企業編〜 その2



2011年7月、新入社員研修の為、一路東京へ。



東京駅すぐ近くの一等地のビルの最上階の一つ下。まるで人がゴミのように感じる本社のフロアにて入社式。



その後、研修施設に異動し約半月の研修がスタートである。



研修内容は前後半で大まかに分かれており、前半部分(1/4)は主に会社のマインドを徹底的に叩きこまれる期間。

後半は業務に関することへのお勉強である。



マインドを徹底的に叩きこまれると言っても、そういう雰囲気のあるのは一日だけです。

まぁ、その一日というのが酷いもので・・・テレビとかで○川急便とか○将とかの企業研修とかで大声ださされたりしている映像をご覧頂いた人はいるかと思いますが、あれより酷い感じで僕は過呼吸でぶっ倒れる寸前でした。

そこから、マインドコントロール的なところはスタートしていたんでしょうね・・・


連日行われる、朝の営業理念唱和(信念)


一つ、常に高い志を忘れず

一つ、情熱を忘れず


これがたしか12カ条ほどあったと思います。



こういうのって、会社によってはやっているところはありますが、その図中にいる人々はわかってませんが一歩離れて客観的に見ると・・・


しかもこれ、店舗配属になっても毎日大声でやってました。辞めてから当時の事を振り返っても(笑)でした。




研修終盤、配属店舗の発表です。


この会社は主に店舗型と出張型と2パターンあるんですが(店舗数的には8:1くらい)仕事のキツさ的には出張型店舗の方が圧倒的でした。

しかも、給料はあまり変わらず、出世に関してもかわらない。

そうであれば、出張型店舗は避けたいところでしたが無情にも出張店舗への配属。

・・・がんばればいいか!



まぁまぁ、そんな事もありーので無事研修期間が終了して帰宅。


研修でやったこと等を嫁と話してると、嫁が一言・・・

「それって宗教ちゃうの?w」



たしかに・・・(笑)


まぁ、図中に居た本人にしてみれば、自己啓発の為だとかなんだとか納得してやってるわけで、さして気にもとめてませんでした。





続く。





至る話スピンオフ〜ブラック企業編〜其の1

少し前から、ダンダリンというドラマがスタートしてますね!


世の中にはいわゆる「ブラック企業」とされる会社は山のようにありますが、表立って問題視されている事はほんの一部分でしょうね。

ブラック企業で働かされている当の本人自体が自覚していないということも多いでしょう。

中には、ほとんど洗脳に近いものさえあります。


そんな人々が、自分の置かれている環境がいかに<異常>であるかということに気が付いたら・・・

(○タミ様にとってはいい迷惑ですね。)



労働者にとって、明るい未来は待っているのか?

いい方向に前進する意味も込めて、今一度勉強するいい機会なのではないでしょうか。



世の中、待っているだけでは何も勝ち取れません。

役所の申請についてもそう。色々便利な制度があるにもかかわらず、知らないがために(ロクな告知をしてない国側にも責任はありますが)損をしている人も大勢いることでしょう。


制度に関してはまずは調べて申請、おかしいと思ったことはなんでも相談!自分で抱え込んでいてもなんの解決にもなりません。



さて、そのいわゆるブラック企業で働いた事をつれづれと書いていきたいと思います。

今の会社のことじゃなくて、スロニートを辞めてからすぐに働いた会社のことです。




至る話 〜ブラック企業編〜 その1



はじめに

どこの会社??という疑問は出てくるでしょうが、今から書いていく内容はあくまでも僕の「主観」でのことなので、会社名等については控えさせて頂きます。

まぁ、話の内容から大体想像はつくとは思うのですが・・・(笑)





時は2011年6月


4年弱続いたスロニート時代に終止符を打つべく、就職活動をしていた一人の男、その名もアビ。



たいした学力のない高校を卒業後、自動車整備士の専門学校を卒業。

・・・というなんの面白味のない学歴。更に、4年近い空白の期間。



普通に就職活動をしたところで、働き口なんて見つかるわけがないってことです。

給料をそれはもう手取り13〜15万くらいに落とせば働き口はいくらでもあるでしょう。

もしくは、いわゆるブラック企業という会社を選べば簡単には入れるでしょう。


僕的には、手取り13〜15万くらいの仕事を選ぶくらいならブラック企業の方がまだマシ!という考えでしたが、だからと言ってワ○ミとかの「究極的ブラックワールド」では働きたいなんて思うわけないです。


一応、手に職はあると言えばありました。

整備士の資格は持ってましたし、自動車ディーラーに3年半働いているというのは、自動車業界にとっての偏差値としてはまぁまぁの方です。


この二つの武器を手にすれば、そこそこの給料ですぐに就職口を見つけるのは簡単なことでした。


じゃああれだ、車好きだし大手中古車企業に就職するのもアリだな。




そう考えたアビは、さっそく複数社の説明会に出席。


その後、何社か受けたところ・・・即効で受かりました(笑)


スロニート時代があろうがなかろうが、「整備士免許アリ+元自動車ディーラー勤務+20代」っていうのはかなり魅力があるらしく、どこの会社も1次面接合格等、とんとんびょうしに話が進んでいきました。


そんな中、一番決定が早かった+一番大手だった某社に内定を頂いたところで僕の就職活動は終了したのでした。



(ちなみに、面接時にはかならず空白の期間の説明を求められるのですが、なんのためらいもなく「スロットで食べてました」と答えてます(笑))




間髪入れず(本当に即効で)東京での研修となりました。


今考えれば、捕まえた獲物を逃がさんとする必死さがあったとするのが見え見えの動きではあったのですが、だいたい就職が決まってうれしくなっている当の本人はそういう嗅覚はなくなっているもんです。



意気揚々と、約半月の東京研修にでかけるアビなのでした。






続く。







ここに至るスロッターの話<第八話>

ここに至るスロッターの話・・・


これは一人の男がスロットニートになるまでのお話である。



第八話〜決意〜



仕事が終わってから、スロット、休日もスロットという日々を繰り返す毎日。


この頃は、月当たりコンスタントに10万くらい勝てていたから、それ以外にも仕事の給料も入ってくるものですから、生活はかなり潤っていた。


とは言え、爆裂AT機時代のように10万以上勝つか負けるかとかじゃなくて、日々の収支は基本安定していた。万枚出したのなんて、リオデカーニバルの設定Eで出た1回くらい。(仕様上、朝一に薄いとこ引いて一撃で万枚近く出て、そこからはずっと現状維持でしたがww)




職場の整備士の給料体系というものが、かなりヤル気のそがれるシステムになってまして、勤続年数が増えようが、資格を取ろうが、サービス(工場)の売上を達成しようが、あまり差がない為に、同じ整備士の中でもかなり裕福な方だったと思う。


よくスロットの話をしていた先輩とは別の先輩ですが、その先輩もかなりスロットが好きでして。僕が勝ち方を教えてから月単位ではプラスに持って行けるようになっていたので(それでも、そんなにカッチカチの立ち回りではない)仕事帰りとかにはよく一緒にスロットに行ってました。


正直、この頃は楽しかった。


給料は安いとはいえ、車好きだった自分にとっては楽しい仕事だったし、職場の人もいい人ばかり、共通の趣味を持っている人も多かったので(車、スロット、スノーボード)こんな日々がずっと続いてもいいかなと思ってました。


しばらくこの生活が続いていたころ、スロットの規定が変わり5号機というものになるという情報がどんどん出てきました。


出玉スピードが極端に遅くなる。


天井がなくなる。


ボーナスとRTのみになる。


実際、5号機初期の頃に出てきていた、初代エヴァやデビルマンやその他機種を見ていても、そういう時代になるんだなという感覚になった。


4号機終盤には仕事帰りに10万持って、NEW島唄の通常狙いという毎日を送っていたが、それも時間の問題となっていた。


しばらくすると、完全5号機時代。


仕事帰りから勝てる立ち回りが厳しくなると予想するのはそう難しいことではなかった。


このままでは月単位で安定して10万くらい勝てない。また仕事の給料のみという生活に戻ってしまう。


それじゃあ・・・スロット一本に絞るか!!


そういう考えに至るにはそんなに時間はかからなかった。若い時期に一度やっておきたいという思いもあったし、このまま雇われての整備士は正直辛い。独立とかすれば別ですが、そうなれば自由な時間なんてなくなるしね。


そんな訳で、完全五号機時代が到来する2007年10月を迎える前の2007年9月末日、会社を辞め自由の身となったのであった。


それからの話は前ブログのスロットニートが5号機で年収500万稼ぐ?となっております。



或るスロッターのここに至るまでの話。




〜終〜




ここまで僕のつまらない昔話にお付き合い頂き、ありがとうございました!




リクエストがあれば、全くスロットを打ってない空白の1年間とかその他もろもろ、時間があればやりますね。いつになるかはお約束はできませんが(笑)




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ここに至るスロッターの話<第七話>

ここに至るスロッターの話・・・


これは一人の男がスロットニートになるまでのお話である。



第七話〜破〜


生活の中にスロットがある少年時代から、次第に車などの趣味へシフトして行ったアビ青年。


学生生活も中盤に差し掛かった頃から、今の嫁とも同棲。生活費も自分で稼がないといけないこともあり、バイトも高時給の深夜バイト一本に絞る。


学校から帰るとまず睡眠、夜10時くらに起きて朝までバイト→そのまま学校という流れです。とてもじゃないですが、スロットなんて打ちにいく暇がなかった。


その後、無事国産自動車ディーラーの整備士として就職するが、ディーラーの整備士の給料なんて安いものである。けして時給計算等してはいけない。


生活する分にはなんとかやってはいけるお金はあるが、少し贅沢をできるほど余裕なんてなかった。バイト等の副業は禁止だったが、こっそり日雇い派遣のバイトなどで収入を得て、その分で少し遊んだり、彼女の誕生日プレゼントなど買う時もあった。


給料安いくせに副業禁止とか、死ねというのかという話である(笑)社畜になるとかはご免こうむる。


そんな働きマン生活が少し続きましたが、この職場でスロット大好きな先輩がいましてね。学生時代はバイト代わりにスロットしてましたなんて話をしたもんですから、その先輩とはスロットの話で持ち切りです。


そこまで話をされると・・・気になるな。


また稼げるかな??なんて思いながら少し勉強してみることに。


しばらく情報を完全に遮断していたので、真新しいことが多かった。


ストック機が主流になっていて、天井がある、ゾーンがある。


学生時代に打ってたころはイベントとかメールとかはほとんどなかったが、今はイベントは多岐にわたりますし、メールも毎日のように送られてきて、台選びの情報が無数にある。


昔大阪は7.6枚交換より悪い店しかほとんどなかったが、今は緩和されて等価交換のお店もあれば5.5とか6.0とか色々とあった。


これらの事を目の当たりにしたアビ青年はピンときた・・・


「スロットめっちゃ勝てるようになってる!!」


2台目のシルビアも大阪南港でドリフト中に事故ってなくし、趣味の一つがなくなった頃でもあった。


そういうこともあり、勝てると思い立ったがすぐに行動。打てる条件の台を探し、スロット再開記念第1号として打ったのがなぜか梅松ダイナマイトウェーブである。


天井狙いからの、連荘ゾーンループで簡単に勝ててしまった。


そこから、アビ青年は仕事帰りはスロット店に寄って帰り天井&ゾーン狙い。休みの日にはたまにスロットへ行って設定狙いということをするようになっていた。


特に、仕事は水曜定休日で毎週休みだったのと、近所のパチ屋が毎週水曜日はクレオチイベント(ガセなし設定C以上確定、さらにピンポイント告知アリ)と重なることもあり、水曜日の休みは必ずスロットという日々が続いて行った。




アビ青年がスロットニートになる少し前の話である。




続く。





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ここに至るスロッターの話<第六話>

ここに至るスロッターの話・・・


これは一人の男がスロットニートになるまでのお話である。




第六話 〜青春群像編〜



学校、バイト、スロット・・・


そんな生活も高校生活の終わりに近づくにつれ、同じく終わろうとしていた。


バイトは、高校3年の冬休み前にはヤメてました。


学校以外は基本的にはバイトとスロットだったので、高校最後には遊びたかったというのもありました。じゃあスロットの方をヤメろよと言われると身も蓋もありませんが(笑)


そして、高校も卒業式を終えた頃でしたか。


爆裂AT機に各機種毎日設定Eの入っていた店舗の店長もその店舗を卒業し、新しい店長が就任しました。風のヒューイにめちゃくちゃ似ている店長でした。(元々、主任、副店長クラスの人だったので知ってましたが)


特に、パチスロ北斗の拳の将とかに出てくる3Dのヒューイにあまりにも似ていたので、当時、打ちながら「これ、実写版のあの時の店長じゃないよな」なんて思っていたぐらい(笑)


そのヒューイ店長に変わってからと言うものの、各機種設定Eという状況が変化しましたね。


「五舎星だから設定Dだ!」と言っていたかはわかりませんが、明らかに出てない。毎日更新されていた店内出玉ランキングボードも、ベスト5までは必ずと言っていいほど万枚が占めていたけど、この頃からその法則も崩れました。


そのお店からもノリ打ち軍団の数もドンドン減っていくのでありました。


自分はというと、そんな状況になった店に打ちに行く気が起らなかったというのと、高校最後に中古でS13のシルビアを買ったものですから、勿論そっちにのめり込む訳です。


蓄えもそこそこあったものですから、バイトもスロットもしないまま遊び呆けていた時期が続きました。


高校卒業後は自動車整備士の専門学校へ入学。さらに車遊びにのめり込んでいく青年。たまにスロットをするようにもなりましたが、勝ったり負けたり普通のお客さんへと戻り、しばらくしてからは完全に打たなくなり・・・


よく、私のスロ歴はブランクがありますと言ってますが、ちょうどこのあたりから数年間の機種がわからないんです。


初代猪木とか、疾風の用心棒とか、その辺の機種。北斗とか吉宗も完全にブームになりきって台数がめちゃくちゃ増えた頃にやっと打ったくらい。


初代ゴッドも少しだけ打ちましたが、学生のお小遣いだけで打つ代物じゃないので、ほとんど打ってませんでした。


蓄えていたお金は簡単になくなりましたので、またバイトを始めます。


基本、低時給で働くのは嫌なので、今度は倉庫内作業のバイトです。


乗っていたシルビアを清滝峠というところで事故って廃車にしてしまい、また新しいシルビアを買うってこともあり、バイトを掛持ちすることにもなりました。


学校→倉庫バイト→カラオケ店で深夜バイト→4時に寝る→7時に起きる。


こんな生活が続きました。学校では爆睡です(笑)


スロットとは、この後就職してしばらく経過するまでは打つことはありませんでした。




お話は、就職後スロットを打つようになるまでカッ飛びます。




続く。





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ここに至るスロッターの話<第五話>

ここに至るスロッターの話・・・


これは一人の男がスロットニートになるまでのお話である。




第五話 〜序〜



学校とバイトが休みの日曜日は、ドン2のリセット判別から美味しい台を頂く。


そんな日を続けている内にお店のクセを見抜く能力ってのも自然と身についてくるもので。


何日もやっている内にリセット判別しなくても大体わかるようになってました。勿論、データもちゃんと取って、打つ前の日は必ず下見もしてましたしね。


ただ、こんな日はいつまでも続きません。


次第にドン2の設定状況は悪くなっていきました。


そうなってきた頃、業界で頭角を現しだしてきたのが獣王を始めとする爆裂AT機というやつです。


東京ディズニーシーの開園直前の高校3年の夏でした。


お店のクセとかもちゃんとデータを元に見分けられるようになっていたアビ少年は、別の店に行くことになっても特に問題なく台選びができるようになっていました。


爆裂AT機時代でしたが、1機種に付き1台、必ず設定Eを入れてくれるお店がありました。まぁ、大阪なので7.6枚交換ってことでできたことかもしれませんが(笑)


そんな美味しいお店、勿論他のスロッターがほったらかしておく訳がありません。そのお店は毎日20人弱くらいのノリ打ち軍団が列の先頭を占拠しておりました。


なので、大花火とか獣王とか、そういった人気機種については絶対に設定Eは打てなかったのですが、それ以外のマイナー機種に関しては、その軍団の後に並んでも取れるという恵まれた環境のお店に通うことになって行くのでした。


よくハードボイルドとかサンダーV2とか打っていた。懐かしい。











自慢ですが、コンチ4X、爆釣、アラジンA、ダブルチャレンジ等で万枚体験しましたし、サンダーV2においては万枚3回の2万枚1回でしたから!今では考えられない時代だった。(でも7.6枚交換ww)


7.6枚交換と言えども、頻繁に10万勝ち以上です。(笑)高校生としてはおかしな話です、金銭感覚もおかしくなります。



大体朝一からの稼動が月で5、6回あり、爆裂AT機のEを月に2、3回くらいツモれる状況が続きました。


月当たりの収支も5万〜10万をコンスタントに稼げてました。しかもコレ、高校生としては高時給の900円くらいの工場のバイト(高1年から続けてたので、バイト長でした)をしながらでしたからね。


家は貧乏でしたが、思い返すと人生で一番裕福だった時期かもしれません。


飲み会とかの時も基本的に私が多めに出してましたからね。今思うと調子に乗ってただけだから勿体無いことしたわ(笑)


そんな日々を繰り返していく内に、貯金も貯まって車を一括で買えるくらいまで蓄えることができましてね。


そんな裕福な状況も、高校生活の終了に近づくに連れて徐々に変わって行くのでした・・・




続く。


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ここに至るスロッターの話<第四話>

ここに至るスロッターの話・・・


これは一人の男がスロットニートになるまでのお話である。



第四話 〜スロットニート脳の幕開け〜



スロットを自分に教えた友人以外は、特にスロットが好きという友人はいなかったので、しばらく一人でバイト代をもらっては打ちに行く日を繰り返していた。


バイト先が工場ってのもあり日曜は休みだったので、日曜日はパチンコ屋に出没する機会も多かったです。


アビ少年は無事高校2年に進学し、スロット業界はというと、大花火を始めとするいわゆる大量獲得タイプの機種が増えた頃でした。


大量獲得機で好きな機種はというと、タロットマスターが大好きでしてね。






左リールのズル滑りが好きで、よく打ちに行ってました。


始めて朝一から閉店まで打ち切ったのは大花火でした。


ビタ押しなんていう技術がまだまだ未熟だった私は当然、3連ドンハズシです。


安い投資で当たってから一日打って一箱だけで終了。まぁ当時の一箱は今の二箱分くらいはありましたけど。


ただ、高設定を確信したから打ち切ったのではなくただただ打ち切っただけです。


クレオチイベントでタロットマスターのクレオチを体験したこともありました。(設定C以上確定)


でも、高設定は打ち切らないといけないなんていう思考のない私は飲まれた時点でヤメましたけどね。



そんなこんなで、勝つ為の行動を何一つしていなかったアビ少年は、その日の勝ち負けに一喜一憂するだけでサイフの中身は基本的に寂しいものになっておりました。



そんなアビ少年に転機が訪れたのは当時「おっはー」なんぞが流行語としてブームになった2000年、高校2年の冬。


ドンちゃん2との出会いである。


ドンちゃん2と聞いてピンと来ない人はまだ20代かな?今では「緑ドン」として親しまれている緑色のドンちゃんが主役のノーマルAタイプマシンである。





この台はドンちゃんシリーズ初の液晶搭載タイプの機種になるのですが、そんなことはどうでもいい。もっと重要なのがこの台の「小役カウンター」機能である。


小役カウンターと言えばカチカチ君とかを想像する人は多いかと思いますが、そうではありません。



これのことではありません。




今の5号機では規定上ありえないことなんですが、4号機では内部状態で小役は高確率と低確率を行ったり来たりしている機種がありました。


小役カウンターとは、内部でその状態を管理するもので、しばらく小役が揃わない状態が続き、コイン持ちが低下したら小役高確率状態に以降。その後、小役が揃いコイン持ちが回復すればまた小役低確率状態に以降。そういうやりとりが内部的に行われていました。


簡単に表すと

基準が0とすると
これがプラスになると小役が低確率状態になる。
マイナスになると小役が高確率状態になる。

こんな感じです。


このシステムを使っている機種は爆裂AT機登場までは結構ありました。


ドン2もこのシステムを導入してたのですが、このドン2の小役の確率変動具合ってのがとんでもない仕様でしてね。


他の機種はそれとなく確率が変わるんですが、ドン2に関しては明らかに(現在高確率中)というのがわかるようになってました。


近い機種で言うと花火にも採用されていたこのシステムですが、花火の場合はBIG終了後にこのカウンターがリセットされていました。ドン2はリセットされません。


花火は風鈴の確率が変わったりしていたのですが、ドン2は2チェ確率が変わりました。


以上のことから、他の小役の確率と合わせてもドン2の場合、通常時の風鈴を引き負けしない限りは小役高確率状態には中々以降しませんでした。


詳しい確率は忘れましたが、小役低確率状態での2チェ確率は1/300くらい、小役高確率状態での2チェ確率は1/10前後だったと思います。連続して2チェが出現すれば、小役高確率状態であることは一目瞭然です。


ただ、ドン2でも小役カウンターがリセットされる条件があります。


それが【設定変更】でした。


これがどういうことかわかりますか??


朝一、据え置きの場合は基本的に小役低確率状態のまま引き継がれます。


リセットされていれば、内部のカウンタは0からスタートするので、すぐに小役高確率状態に移行します。


ということは、朝一はリセット台に関しては2チェが出現しやすいってことになります。


更に、変則打ちで風鈴をハズすことも可能でしたので、朝一しばらくの間は風鈴ハズしをしていれば、風鈴が揃ってしまい小役状態を見極めることができない!!なんていう自体も避けることができるました。


要は、リセット判別がものすごく簡単だったということです。


このことに気づいたアビ少年は、さっそくドン2を良く出していた店の朝一リセット判別をすることにしてみました。


すると・・・基本的にリセットされている台はないんだが、リセットされている台がある。さらに、その台を打ち続けるときっちりと出るんですが!!


これがアビ少年が「スロットってちゃんとやったら勝てるやん!」という思考に辿りつくことになった出来事なのでした。




続く。



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ここに至るスロッターの話<第三話>

ここに至るスロッターの話・・・


これは一人の男がスロットニートになるまでのお話である。




第三話 〜負け犬スロッターここに現る〜



初打ちで、他人のお金で快勝したアビ少年は、見事にスロットという貯金箱にのめり込んで行くこととなる。


私にパチンコやスロットを誘っていた友人とは、それまではたまに遊ぶ程度でしたが、この頃から頻繁に行動を共にするようになっていた。


勿論、連れスロでですが。


スロットというものについては、いわゆる先輩である友人はいつも得意げにスロットについての話を私にしていました。


リーチ目がどうとか、

花火の遅れがどうとか、

知り合いにビンゴ君ってのがいて、スロットで喰ってるとか、


そのビンゴ君とやらですが、一瞬だけパチ屋で見たことはある。友人の話を後々思いかえしてみても、まぁほとんどが作り話だというのはすぐにわかるようなことでした。


でも、当時のアビ少年にとっては、そんな話は妙に信憑性を感じられて、華やかに感じられた。



スロットを打つようになってから、しばらくはビギナーズラックで勝ててました。


良く打ってたのは、やっぱり初打ちで良い思いをした花火を中心に、バーサスとか、ワードラとか、ユニバ系機種が中心でした。バーサスを打ってる時に隣のおっちゃんに「入ってるで」とか言われてたのはいい思いである。







めっちゃ懐かしな!




勿論、勝ててる時期なんてのはほんの些細な時期だけで、その後は適当に打ってるもんですから、どんどん負けを積み重ねていくことになります。


スロットを打つ為にバイトをしている状態です。


でもまぁ、ただただ負けるのは嫌ですから、その間も色々とスロットの事について勉強をしていくことになります。




これも買って、目押し練習したりCTの消化練習したりしたな〜。


初歩的なことからいくと・・・


スロットにはフラグというものがあって、フラグが成立しない限りは対象の役が揃わない。

特殊な制御を除き、リールは4コマ滑るようにできている。その滑りを利用し、成立してない小役をハズしたり、揃えたり、リーチ目を出現させたりしている。

スロットには設定というものがあり、高設定の方が当たりやすい。


とか。


そんな感じでスロットの「仕組み」というのを理解していくことになります。その前に学校の勉強を理解しろよという話になりますけどね(笑)


そんなこんなで月日がしばらく過ぎたある日のことです。


その日はとあるお店でワードオブライツを打っておりました。


スロットを打ちようになってそれほど日が経っていたわけでわありませんが、一応DDT打法やリプレイハズシ等、一通りの事はできるようになってました。


打っている途中に、例の友人が合流しました。


ただ、友人は打たずにしばらく私の後ろで腕組みしながら見てました。


そして、しばらくしてから放った一言。


「そんなん、アカンで。小役こぼしまくってる。」


衝撃的一言でした。


上にも書いたとおり、一通りの知識をつけた私は成立してない小役なんて揃わないのは百も承知でした。


さらに、滑りもあることによって、リプレイやメイン小役等は目押しの必要がなしで揃うことも知っていた。


ワードラで取りこぼす可能性があるのは、緑色の奴とデカチリみたいなアレ。


左リールにはしっかりとデカチリ狙いで消化してました。


ですが、友人はオレンジの奴とか色々と取りこぼしてるとか言い出したのです。


元々、その友人は昔から知ったかぶりをするというか、そういう奴だったんですが、それが出ましたか・・・


この機種で取りこぼしの可能性があるのは〜〜とか、色々としましたが、理解してない様子。


それよりも、自分がスロットを教えた相手にたいしてスゲーだろうとうドヤオーラがハンパないのである。


コイツぁ・・・ダメだ。



それが、この友人と一緒にスロットをうちに行かなくなるきっかけでした。






まだ、スロットで勝てるようになる前の話である。






続く。




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ここに至るスロッターの話<第二話>

ここに至るスロッターの話・・・


これは一人の男がスロットニートになるまでのお話である。



第二話 〜回胴式遊技機との出会いは突然に〜



時は高校1年の冬。


当時はビジュアル系バンドが流行っていて、バンドブームでした。


例に漏れず、私も即席バンドのボーカルとかもちょびっとだけやったりしてました。声が高いだけで別に歌上手くないのに(笑)


そんなエセバンド活動(すぐに飽きてヤメました)にハマっていた頃、スロットとの出会いがありました。


学校が終わってからのスタジオ。


それが終わった頃合でパチンコを打つきっかけを作った友人からの電話です。


「今駅前のパチ屋でスロット打ってるから来えへんか??」


別に打つつもりはなかったが、終わってからスタジオ前のマクドで時間を潰していたところだったから、まぁ行ってみるかとちょっと覗きに行ってみることに。


なんかひと箱くらい出してました。打ってた機種は花火でした。








ひと箱出してて気が大きくなってたのか、自慢をしたかったのか(後者の可能性大)友人は私に1000円を渡し「打ってみ」と。


まぁ、そんな1000円で簡単に当たるわけがない。


友人はそう思ってたみたいでしたが、ペカりまくるた〜まや〜ランプ。


そうです、私のスロット初体験は花火でした。


なんか良くわからない短時間の内に、2000枚以上は出てました。


当時の大阪は組合の方針によって、どこのパチンコ屋も7.6枚交換。悪いところなんて8枚より悪いなんていうのもザラでしたので、2000枚超えの出玉でも換金3万くらいでした。


それでも、たったの2時間くらいで3万円の勝ち額を手に入れたのである。


そりゃあ・・・ハマりますわね(笑)


打ってた店は関西では有名な矢の店だったんですが、何故か換金をすると毎回千円札での支払いでした。


30枚ほどの千円札でパンパンになったサイフを見て、アビ少年が感じたこと。


「スロットって稼げる!!」


よくある短絡的な思考です。


ちなみに、その友人は全飲まれ。


友人の1000円で勝たせて貰った手前、幾らかバックを支払おうかと思ったアビ少年でしたが、友人は別にいらないと。


「昨日もその前も結構勝ってるから今日くらい負けても別にいいねん。」


な、なんてことだ、スロットってそんなに儲けられるのか!!!




一人のバカ高校生の身に衝撃が走る。





続く。



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ここに至るスロッターの話<第一話>

こんばんわ!

はじめましての人ははじめまして!

皆様、本日も当ブログをご覧頂き誠にありがとうございます。



さて、やけに丁寧な買い出しでスタートしてますが、別にブログヤメます記事とかじゃないのでご心配なく(笑)

で、今回のお題についてですが・・・

私のことはスロニートをやってからは前のブログの方をやってましたので、昔から読んでいただいている方々はスロニート以降のことはご存知頂いてるかと思います。

アビがスロットニートになるまでの物語(笑)を書いていこうかと思ったわけです。


「別に興味ねーし!」って言うツッコミが山のフドウの様に飛び交いそうですが、全国約5名のファンの方に向けて書いていこうと思います(笑)



興味のない方は記事タイトルが「ここに至るスロッターの話」というタイトルでしたら、遠慮なく飛ばしちゃって下さい。




第一話 〜パチンコ屋に立つに至る一人の少年〜


時は199X年。そろそろモヒカン漢達が網羅する時代。


ではなく、だんご三兄弟が爆発的ヒットをした時代です。


子供の時にパチンコ店に入ったことあるとか(当時は今みたいに厳しくなかったからね)そういう話は置いといて、自分自信の意思でパチンコ店に入ったのは、高校1年の1999年の事です。


元々、自分の両親というのがパチンコをやっていて、オトンはかなりのパチンコ好き。ばあちゃんの家に行っても子供を置いといて一人でパチンコに行くほどでした。


オカンはというと、ちょっとカジったくらいですが、小学生くらいだったかな??わかるわけないのにやたらとタヌ吉君の話をされたもんである。


パチンコは負けるもんだって分かってるオカンはタヌ吉君以降はやることはなかったんですが、オトンはというと借金を作ってしまうまでのいわゆるパチンカスそのものでした。


とはいえ、別にパチンコというものを毛嫌いするわけでもなく(オトンが借金してまでパチンコやってたと知るのはもっと後のことですが)なんならちょいとばかり気になってたりもしてました。



学生の頃から「効率よく稼ぎたい」なんて思ってた私は、高校に入ってからは時給の高い工場でのアルバイトをやってました。


基本パチンコってのは「楽して稼ぎたい」なんていう妄想を抱いてしまうものですが、例にもよって私もその妄想に取り付かれるようになります。



そんなバカ少年をパチンコ屋に引きずりこんだのは、中学時代からの悪友でした。


その悪友がやたらとパチンコ屋に私を誘ってくるのである。


当時は今みたいにパチンコ店の年齢制限も厳しくなかったので、制服姿とか、明らかに中学生!!!とかじゃない限り、パチンコ屋に入ってもおとがめなしでした。



アビ少年は、誘われるがままにパチンコ屋へ。


訪れたのは、関西では有名な野豚なグループ店。


野豚は大阪八尾が発祥の地でしてね。八尾に住んでた僕の周りには野豚の手が回った店舗がかなり多かったです。


始めて打ったパチンコ台は・・・なぜかフィーバーアジャコングである(笑)


初日は5000円くらいだったかな。フィーバーアジャコングとわんわんパラダイスを打って何事もなかったように終了しました。


ビギナーズラックなんていう言葉は微塵もありません・・・



当時は今と違ってラッキーナンバー制が一般的でしたが、その意味もわからないまま実戦終了となりました。


ビギナーズラックがないのに次やる気なんて普通は起きないもんですが、なんか悔しかったもんで、そこから2、3回くらいはパチンコ屋に行きました。



そして、一回もプラスになるわけがなく・・・


「パチンコって何が面白いねん??」


そういう疑問だけが残り、しばらくパチンコ屋にや行かなくなったアビ少年なのでした。



スロットに出会うの前の話である。




続く。




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